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2013年5月10日金曜日

30代を考える。


今年は30歳になる歳なんですね。 次の10年で、40歳になる。  
20歳から30歳になるのとは、また一段違う10年ですよね。 
だって、両親が40歳のときには、僕はもう生まれていたわけです。 
けっしてもう若くはない年齢だと実感します。  

それで最近なにをすべきかスゴく考えることがあります。 
もうあらゆることで、なにをするか考えちゃいます。  
日々の食事にしても、仕事にしても、ライブ行くにしても、本読むにしても、 
映画見るにしても、時間に限りがあるとわかったら、 自分にとって最高の
選択をしていきたい。  

けど、実際は自分の見聞きしている情報なんて限りがあるわけで、 
完璧な判断ができるわけない。  

だとすれば、なぜその選択をしたのかと考えると、 
まさに「そこに山があったから」としか言いようがない。  

だとすれば、せめてたくさんの山を目の当たりにしておくべきでは!? 
目の前にないことに対しては、決して選択はできないわけですから。  

そういう意味で、自分がたくさんのものを目で見るためには、 体力とか健康とかは、
なくてはならないものなんですね。 だから、そういう仕事でまずは
食べていきたいとも思っている。 精神、体力ともに健康でいられる仕事。
その点で、いまの米作りは すごくいい方向でさせてもらっていると実感しています。  

小さいときに目の当たりにした桶川西小学校のアルプス(小高い丘)を登って、
 山を登った気になることは、決して不幸なことではないけども、いまは 
もっともっと別の山を探したいと思うんですね。  

でも、もしかしたら40歳になるころには、この山が一番いいと 
思えるものが出て来るのだろうか。

2013年4月13日土曜日

養老先生の話を聞いてきた。

4月12日(金)


養老先生のお話し。

テーマは「生きる力」でした。

大きく二つのことについて、養老先生は話していたように思う。

まず一つ目は、私たちを取り巻く環境の話。
二つ目は、テーマである生きる力、私たち自身についての話。

 私たちを取り巻く環境。 エネルギーと経済のお話し。
エネルギーの消費が増えると経済成長率が増えるという事実がある。
エネルギーというのは、石油のこと。現代社会においては 経済成長を
目指すことが大きな流れであるから、必然的にエネルギーを必要とすることになる。

一方でエネルギーは私たちの身体にも存在している。基礎代謝と言って、
日々私たちはエネルギーを蓄えて消費している。 しかし、外部からの
エネルギーによって、自分の基礎代謝がどんどん落ちている。
外部からのエネルギーというのは、たとえばクルマによる移動。
どんどんエネルギーが内部からではなく、外部から得られることによって、
人間が動かなくなる。それで肥満が増えたり、病気が増えるという必然。
そういう社会に生きている事実を説明してくれた。

次に、生きるとは何だろうという話。

その逆の死ぬということから話は始まった。

死ぬと困るのは誰だろう。実は自分は死んでも困らない笑
死んだらそれまで。自分はもう関係ないわけだから、死んで困るのは、
自分の身近な人である。  ということは、生きると言うことも身近な人との
関係性のなかでしか、 あり得ないのではないのだろうか。という話。

一人ぼっちでいたとして、生きることはできても、じゃあ生きる力が
みなぎってくるだろうか。よく、奥さんを早くに亡くした男性が
後を追うようにして亡くなるケースがあるけども、これもやはり、
身近な奥さんがいなくなったことで、生きる力を失うのであろうことは、
想像すればイメージ出来る。

生きる力に満ちあふれた生き方とはどんなものだろうか。 身近な人との関係が、
強くある生活。すなわちいま流行の”絆”のある 社会であろう。  いまは人間関係が
希薄な社会と言われているわけだから、当然、 生きる力は弱くなっている
ということだった。

じゃあ問題は、なぜそんな希薄な人間関係の社会になっているのか。
個性、独創的、他のヒトにできないこと。こんなキーワードが社会に出て行く前の
学生達に求められる条件として、提示される。執拗に自分というものを、
意識して周りと区別する傾向。  しかし、養老先生はこんな例をあげた。
精神に障害をもった方を相手にする現場にかつていた先生は、まさに彼らこそが、
個性をもって独創的で他の人にできないことをしていると笑
しかし、彼らは社会に出て行けないから病院に通っているわけで、 つまり、
社会においては相手に役に立つからこそ自分のいる価値が出てくるということなので、
いたずらに個性や独創性をもてはやすのは おかしいというわけだ。
個性は生まれつきあるでしょう。顔や血液型。 それが個性だろうと。

さらにこう付け加える。  自分と周りの環境を区別することはできない。
それくらい、実は私たちは環境と繋がっている。  例えば目の前の田んぼの稲を見て、
私たちの未来を見る。 なぜなら、お米を食べて私たちは身体を作っている。
稲穂が成長してお米になるということは、自分の身体を作る基となる食べ物が、
できる、すなわちそれは自分自身でもあるということなのだ。

さらに、自分たちの細胞のことも例にあげた。 細胞は毎日少しずつ入れ替わっている。
赤ちゃんのころ私たちを形作っていた 細胞は、いまは一つも残っていないそうだ。
だから、いまの私たちは、 生まれた頃とは丸っきり別物になっている。
細胞は外にどんどん腐敗して、 剥がれ落ちているわけだから、それこそ環境との
境界線はつねに危うい。

自分=環境ということをこうやって丁寧に説明して、いかに社会と繋がるのかが
自分に関係しているかを説明してくれた。

そして最後にまとめ。  自分と環境の境界線がなくなって繋がる。
”つながる”ということがこれからの学問におけるテーマだと。
日本人のベースにある仏教は、そういう意味では”つながる”ことが
根底にあると言うことだった。だから、日本人の感覚がこれからは 大切になるとか。

この最後の10分で自分の集中がとぎれた、プラス養老先生が急いでまとめたので、
結論がよくわからなかった。しかし、ここまでわかっていれば、
きっと考えれば分かると思うので、まあよしとしよう!  ああ、長くてすいません。

おもしろかった!

がん!がん!がん!

2013年3月8日金曜日

受験間近。

3月8日(金)


受験がいよいよ間近に迫っている。

この時期になると、新たなことを習得するのではなく、
実際の試験の際に、注意すべきことをできるだけ伝えるように
心がけている。

終わったなあという感慨と、これでよかったのか?という疑問が、
ごちゃまぜになったような感情で、ここ数日は過ごしている。

すごく、当たり前のことなのだけども、やる気になっている子に
勉強を教えることは簡単である。

難しいのは、やる気になっていない子、親にむりやり塾に
連れてこられている子に、勉強を教えることである。

やる気のない子に、いかに勉強を教えるかが、
ほんとうの、塾の仕事なのかもしれない。

ところが、実際にはそれを実現する術はなく、
糠に釘、のれんに腕押しのような、他にも馬耳東風とか、
そんな手応えの子が少なからず存在している。
この受験間近の状況でも!である。

これでよかったのか?は、まさにそういった子に対して
思うことが多い(やる気があっても成績をあげられなかった子に
対しても思う)のだけども、未だに解決策は見いだせない。

なんでもそうだと思う。

政治に関しても、いかに関心のない人を巻き込むかが課題と
なっているように、興味の湧かないヒト、そのことに関心がないヒトを、
どうやって巻き込んでいくか。

お米を販売するときにも必ずぶち当たる壁ではないだろうか。

話しを聞いてくれるヒトに対してだけ、話すという、閉じられた世界で
勝負するのは、あまり進んで選択はしたくない。

そう思っている。

がん!がん!がん!

2013年2月14日木曜日

伝える力。


「インド人でもわかるようなプレゼン資料を作れ!!!」というのが、
前職のボスの口癖だった。

それくらい、ヒトに伝えるときには、相手にわかりやすくするように、
意識しなさい、という意味だったと思う。

ぼくはいまだにそんなことできていないんだけども、
それでも、最近AKBのドキュメンタリーを夢中になって見たり、
周回遅れで、AKBを追っかけているのは、伝える力が
すごく強いコンテンツのお手本だと考えるからである。

気づけば、日本を飛び越えて、台湾や香港でショップが出来て、
JKT(ジャカルタ)や、SNH(上海)などの拠点が生まれている。
アニメやマンガと違って、日本でも老若男女に愛されている。
言葉よりも早く、AKBはどんどん広がっていっているように見える。

などと、小難しいことを言わないでも、実際AKBのドキュメンタリーは、
おもしろい。なので、いま上映中のドキュメンタリー第三弾も見に行く
つもりである。

がん!がん!がん!

2013年2月2日土曜日

持続可能とは。。。。

2月1日(金)

長続きするもの。

大袈裟に言えば、一生続けられるものを大切にしていきたい。

こう思って、いまの生活を始めた。

農業、登山、ボクシング、狩猟、読書、音楽、映画、などなど、
興味のあることは尽きないけども、一生続くかは誰にもわからないことである。

だけでも、これだけは一生続けることだ!と断言出来ることが一つある。

「生きる」ことである。

生き続けること。これが一生続けることのなかで、もっとも大切で、
もっとも根底にあるものだと思う。

生きるということは、健康で丈夫な身体を維持していくことだと私は考えた。

いくらお金や時間、地位や名誉があっても、死んでしまっては終わりだ。
こう私は考えるので、第一に身体的な健康を優先している。

逆に言うと、生き続けることができれば、その他のことは枝葉末節、
とるにたらないことなのかもしれない。

だから、私のブログは一見すると農業のことについての記事が、
少ないこともあるので、不思議に思う方がいるかもしれないが、
実は、農業も行き続けるための一つのツールに過ぎないと私は考えている。

だから、登山も、ボクシングも、農業も、読書も、同じ線上で語っているのだ。

もちろん、お金をいただいている農業と、その他の趣味では、
そもそも違うのは理解しているけども、私にとっては、そのすべてが
農業につながっているし、農業もまた全てにつながっているのだ。

がん!がん!がん!

2013年1月21日月曜日

大きな輪へ。

1月21日(月)

 ほんとうのことが知りたい。

小さい頃からテレビでも新聞でも雑誌でも、
何かの深層を突き止めることこそが、最大の興味関心ごととして、
取り扱われていたような気がする。

真実はなんだ!なんだ!と探せば探すほど、そんなものは
あるようでないような、最近はそんな実感がある。

先日、稲盛和夫氏の「生き方」という本を読んで、
共感出来る部分が多々あった。

それからいろいろと本の内容を思い出しながら考えていると、
一つ疑問がわいて来たのだ。

稲盛氏の生き方の一つで、こんなようなことが書かれていた。

自分の周りのヒトに共感してもらったら、その輪をどんどん大きくしていく
努力をしていく必要がある。

なるほど、こういった努力を経て、京セラは大きくなっていったのだと理解した。

ところが、後になってこう考えた。

輪を大きくしていく過程で、最初に共感してもらったヒトは、
変わらず共感し続けてくれているのだろうか。と。

この疑問は、自分がやってみないとわからない。

そうそう、真実みたいなものは、自分が見つけていくしかない。

がん!がん!がん!

2013年1月12日土曜日

作家西村賢太氏。〜たかが食事されど食事〜

1月12日(土)

きょうの朝日新聞別刷りのbeに、
西村賢太氏のエッセイが載っている。

内容は、「安物食いの習慣」と題して、
自身が日々、いかに安物をルーティンで食しているかが
書かれている。

具体的には、吉野家、立ち食い蕎麦、コンビニ弁当など、
これらをぐるぐるとローテーションして食べていくそうだ。

農業をやっていると、周りに食というものにこだわりを
もった人が当然多いので、少し世界が狭くなっていたのかも(笑)

世の中にはこういった食生活の人も当たり前だけどいる。
そして、芥川賞作家を受賞した文化人が、安物食いを
豪語しているわけで、こうなってくると、オーガニックだ、
マクロビオティックだと、言っているほうがおかしいような気さえしてきてしまう。

そうそう、食の安全などと言い始めたのは、ここ最近のことではなかったか。

僕は西村氏にも共感する。
しかし、お米はうまいものがいい。
なんて矛盾だらけなんだ。

たかが食事、されど食事。

がん!がん!がん!

2013年1月10日木曜日

新年の抱負。

1月10日(木)

お正月からの猛烈な仕事〜遊びの日々から、
一転して日常が戻って来ましたが、脱力感で、
なんとなくだるい日々でした。

しかしきょうは!また調子あがってきました!

年始に朝日新聞で報道されていた記事がとっても気になった。

手抜き除染関連のニュース。

福島県で放射能の除染作業をしている作業員が、
本来回収すべきはずの落ち葉や土を、除染エリアの外に
放置したり、川に流しているという。
http://www.j-cast.com/2013/01/08160583.html?p=all

恐ろしいことに、作業員は手抜きをしているという自覚がなかったり、
周りの雰囲気に流されて、手抜きをしていたという事実も明らかに。
http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201301080616.html?ref=yahoo

さらに、以上のような事実を得ながらも、環境省はその実態についての
究明に対して動きが鈍いようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-00000006-asahi-soci

さらには、除染自体のシステムが実は無茶だったという事実も明らかに。

いったい全体、誰の指示でこういった間違いが起きてしまったのか。。。
これってほんと泥沼だよ。

無責任、人任せ、保身、利己的、そんなヒトたちの仕事が、
幾重にも重なっている。こういうヒトたちの流れには、絶対巻き込まれたくない。
仕事は前向きに取り組みたい。

新年の抱負。

がん!がん!がん!

2013年1月8日火曜日

新年に思う。

1月8日(火)

明けましておめでとうございます。

年末年始と、仕事が忙しかったり、そのままお正月休みに
突入して、旅行に行ってしまったりで、更新がおろそかになっていました。

数少ない、読者の方のためにも、引き続き今年もぼつぼつ更新して参ります。

このお休みで、すごく感じたことがあったので、
忘れないように書いておきたいと思います。

自分の両親や兄弟って、他の誰よりも自分と時間を共有している
人だと思います。だけども、こうして家族旅行に行った時などに、
改めて会話をしていると、相手の全く違った側面が見えて来ることがあるんです。

恐らく、家族のことを他の誰よりも知っていると言っても良いと思うんですが、
だけど、結局、全てを理解することってないのだなと実感します。

でもでも、もっとわかったことがある。

人って、時間の経過とともに変わる。

変わるからこそ、相手のことってそのときそのときで、
理解しようと思うことが大切なんだ。

けっこう当たり前のようなことかもしれないけど、
これって、昔読んだ、養老孟司さんのバカの壁に書いてあったことだと思うんだ。
やっと、実感をもって理解出来たように思う。

実感をもって理解するとどういうことが起きるか。
自分の行動が変わるんだって。

がん!がん!がん!

2012年12月28日金曜日

国をつくるという仕事。

12月27日(木)

きょう。新!阿倍内閣が発足した。

というほど、人事自体にそこまで興味はないのだけども、
選挙以来、政治に対して今まで以上に関心が高まっている。

政治っていったいなんなのだろう。

自分の日々の生活の豊かさについて、政治に頼れる部分はどれくらいあるのだろうか。

その豊かさは、自分自身が努力することによって、ほとんど満たされる気がする。

具体的に言えばお金だろう。お金がたくさんあれば、ある程度満たされるはず。
たくさんの稼ぎを得るために、努力をしないのは、個人のがんばりが足りないから。
こうやって考えることが出来ると思う。
じゃあ、政治はいらない?

ただ、自分自身の努力によっては、如何ともしがたい状況にいるヒトたちもいる。

そういうときに、政治はきっと助けになってくれるはずである。
弱者を救済するときに必要なのが、政治なのではないか。

話しは戻って、強者にとって、政治は必要ない?

そんなことはない。当たり前のように整っているインフラや、
各種制度やルールは、政治によって決められている。

だからこそ、政治が腐敗すれば国自体も腐敗するのだと思う。

そんな、問題意識が出て来たのは、この本を読んだからだ。

西水美恵子/国をつくるという仕事

著者の西水さんは、世界銀行副総裁という立場で、
開発途上国を見て回り、実際に政治に携わって、
その国を改善するための助けをしてきた。

この本で興味深いのは、西水さんが、実際に開発途上国の
国民の生活を、ホームステイなどをして、体感して、
理解し、そのことを国のリーダーとの対話に生かしていること。

実際にどうやって、国の政治が変わって行くのか、具体的な
事案がいくつも掲載されていて、非常に興味深い。

いまの日本は、客観的に見てどの程度の政治が執り行われているのか。。。

様々な国のケースを見て行くなかでは、決して悪くはないけども、
しかし、理想的な姿とはとても思えなかった。

とくに今の日本は、これからの将来を決める上で大切な岐路に
立たされていると感じている。原発を進めるか、やめるか。これだけ大きな問題。
納得の行くやり方で、話しを進めて行って欲しい。

これからの政治にまだまだ目が離せない。

がん!がん!がん!

2012年12月21日金曜日

自炊大切。

12月20日(木)

どんなにおいしいものでも、
どんなに健康に気を使ったものでも、
外食は飽きてしまうようだ。

佐久に来てからというもの、農業という仕事でも、
日常的にも身体を動かすことが多くなった。

あっという間に体重も10kgほど減った。

けども、仕事が忙しくなるにつれて増えていく外食。
食べる時間も夜遅くなったり。

けども、食の基盤を担う生産者がそれではいけない!

なにより大切なのは生活、自分自身の身体=健康であると考えて、
いまの佐久に移住したんだ!

忙しくなって忘れかけていた想いをもう一度思い出す。

運動するのはいいけども、その分安心して甘いものやスナック菓子を
食べているようではいけない!

自炊をしよう。食べるものを考えよう。もっと食べ物に関心をもとう。

そう思い直したのは、ここ数日。
東京に行って改めて感じた。外食を続けいると舌がおかしくなる。

ここまで考えて気づいた。

日常において、いろいろなことに無関心だった自分に。

食べ物だけではない、日々の生活にまつわる様々なことに無関心なのではないか。

一つは政治だろう。

気づいて、考えて、知識を得よう。行動しよう。
実践第一。

がん!がん!がん!

2012年12月5日水曜日

当たり前の日常について思う。

12月4日(火)

たかのてるこさんがラジオに出ていて、断食(ラマダン)は、
世界中で食べ物を満足に食べられないヒトもいるということを、
日常的に体感して、食べ物があることに感謝するために行っている
というようなことを言っていた。 

きょう見た「標的の村」というドキュメンタリーでも気づかされたけど、
僕が日常的に出会っているヒトや、置かれている環境は、当たり前のようでいて、
まったく当たり前ではなかったりする。

ちなみに、標的の村は、沖縄県の東村・高江の住民が、オスプレイのヘリパッドの
建設に反対する模様をドキュメンタリーで描いた作品。
新聞で、オスプレイが日本に来ることに反対しているのは知っていたけども、
住民にとって、実際どれほどの被害になるのか、想像もしていなかった。

このドキュメンタリーを見れば分かるけども、住民にとってオスプレイの離着陸が
行われることは、日常生活に重大な被害をもたらす。

そのことは、見ようとしなければ見ることの出来ない情報かもしれない。

でも、自分の置かれている環境は、当たり前なことなのだろうか。

考えてみれば、平和で安泰な生活も、どんな理由かわからないが、
いつ壊れるともしれないものなのかもしれない。

そんな満足ないまの環境に後ろめたさとかはないけど、ただなにもせずにに、いまの
環境に満足するわけにはいかなかったり。

ラマダン的なことって日常的にあったほうがいいなって改めて思う。

被災地のことを忘れちゃいけないっていうのと同じような感覚で、
いつも傍らに置いておかなくてはいけないことなのだなと思った。
たかのてるこさん。おもろい!

がん!がん!がん!

2012年11月30日金曜日

贈り物。

11月30日(金)

11月ももう終わり。
明日から12月です。

12月になると、もうクリスマス一色ですよね。

友だちの女の子が結婚して、北海道に移住することになりました。
この時期に引っ越すなんて、寒いだろうなあ。

長い付き合いなので、贈り物をあげることにしました。

ブランケットです。

これで寒さをしのいでくれたまえ。

がん!がん!がん!

2012年11月6日火曜日

歳を経て。

11月6日(火)

昨今の世の中は、便利になりすぎて、なにかが失われてしまっている。
忘れてしまっているものがなにかあるのではないか。

こういう問題意識は、就職活動のときに、特に面接で落ちたときに
すごく感じていたけども(笑)いまの僕が、そのときの僕に言いたいのは、
まずは働け。と。

同じようなことを、当時父親に言われたけどもそのときは、
意味を理解せず、親はわかっていない!と思うばかりだった。

いまも100%理解しているかは、正直わからないけども、
大学生の当時よりは、社会を知ったように思う。

だから、安易に現代の利便性や進化に対して反対を言うことが
できなくなった。

なにをするにも覚悟が必要だ。
なにをしていても、そのヒトなりの正義があるもんだと、
歳を経るごとにわかってきた。

だから、親はわかっていない!のではなくて、
僕がわかっていなかったのだ。でも、その当時の僕に、
理解をさせることができたかというと、疑問だ。

じゃー、目の前の中学生にどう納得してもらうか。
当時中学生の僕に言いたい。まずは勉強しろ!

がん!がん!がん!

2012年11月5日月曜日

目の前が全てか。

11月5日(月)

ネットであらゆる情報を手に入れることができたとしても、
旅行は素晴らしいし、ライブに行くのは楽しい。

そういう現場が魅力的だという当たり前のことを理解しているからこそ、
目の前で見ていることが、全てではないということをわかっておきたい。

農業でも塾講師でも、仕事の現場ではいつも何かが起きている。
起きていることは、事実ではあるけども、それがその現象全てを
説明できるような真実ではないと思う。

ある年、自分の稲がうまく育たなかったとして、
それがもちろん日本全体の稲の成育不良を現しているわけでは
もちろんない。

けども、もし自分の稲しか視界に入らなかったらきっと判断を誤るかもしれない。
周りが見えているからこそ、自分の状況を始めて理解できる。

現場を見ずして判断はできないけども、現場を見たとしても、
これまたそれだけでは判断はできない。

でも、ときに判断はしなくてはいけないし、その判断は早いほうが
いい場合が多い。というジレンマ。

でも、

がん!がん!がん!

2012年11月3日土曜日

がんもが出会った。

11月3日(土)

2日ほど、東京と埼玉に行ってきました。

たくさんのヒトに会って、いろいろな話を聞いてきました。

非常に勉強になります。

ただ、ヒトから聞いた話は、情報ではありますが、
技術や知恵にはなり得ないように思います。

ヒトから得た情報を自分で体得するには、
やはり自分の力でその情報を得るために、体験したり、
勉強したりする必要があるのではないか。

ヒトと会っていろいろな話を聞くと、自分がやるべきことに、
気づかせてくれる。そんな気がします。

気づいたら、自分で行動するわけです。
そういうきっかけを与えてくれる。

だから、東京と埼玉で様々なヒトの話を聞いた僕は、
少しわくわくしています。これからやるべきことが、
たくさん出て来たからです。

今より少しでもいい状況に向かうために、やるべきことは
少し大変でも大歓迎です。

がん!がん!がん!

2012年10月30日火曜日

いいね!っていいね。


10月30日(火)

昨日の誕生日。
最近流行のフェイスブックのおかげで、たーくさんの友だちから、
”おめでとう”と声をかけてもらった。

おめでとうの一声がきっかけで、久しぶりにコミュニケーションを
とるヒトもいたりして、フェイスブックってすごいなと感じる。

フェイスブックって、コミュニケーションを作り出すツールなんだなあ。

フェイスブックの機能に、”いいね!”というボタンがある。
友人の投稿した文章や写真に対して、”いいね!”という意思表示を
自分がするためのボタンである。

最初、僕は”いいね!”しかないなんて、批評性もないし、
いいね!と気軽にボタンを押せるから、よかないのに
満足感を得られちゃって、なんかつまらないなあって思っていた。

でも、ヒトとコミュニケーションをうまくしていく上では、
やっぱり共感が大切なのではないかと思う。
実際に久々に出会った友人とのコミュニケーションとして、
“いいね!”ボタンがあるのは、非常に有効なんだなあ、きっと。

僕も塾講師をしているときに、生徒にいいね!いいね!というときがある。
きっとそんな感じなんだな。

ココロでどんな風に感じていても、いいね!っていうことは、
きっと意味がある。

がん!がん!がん!

2012年10月17日水曜日

新米配達。

10月17日(水)

昨年に引き続き、今年も新米をお客さんにお届けしました。

昨年よりもたくさんのお客さんと実際に会ってお話しをして、
いろいろな発見があった。

お客さんは、多くが母親と同じくらい60代の世代の方です。
普段の生活ではあまり関わることのない方とのおしゃべり。

実際に会って話すと、そのヒトのことをたくさん知ることが出来る。
話の内容だけではなく、話し方やお家のたたずまいまで、
そのヒトの人となりが、会うとわかることがある。

お米を販売する上では、そこまで深く相手のことを知らなくても
いいのかもしれない。けど、販売を通してお客さんと知り合い、
関わることができるのは、楽しいことだと思う。

歳をとっていいと思うのは、ヒトのことを理解出来る範囲が
広がったことだと思う。相手を理解したり、共感し、お互いに
理解し合うことは、それだけで価値のあること。

お米の配達の最後は、親戚のお家だった。

中学生くらいまでは、親戚のおばちゃんとおじちゃんが大好きで、
足しげく通っていたけども、それ以降はほとんど遊びに行かなくなっていた。
10年以上ぶりに、お米をきっかけに会って話すことができた。

親戚のお兄さん、お姉さんは、子供が生まれて、もう中学生や小学生に
なろうとしている。すごく懐かしい記憶がどんどん思い出されて来て、
話は尽きなかったけども、時間もあるので、長野に出発した。

いろいろなヒトとの関わり、つながりで、ここまで成長してきた
(自分で言うのもなんだけど)のだなあと、実感する。

サポートしてきてくれているヒトのためにも、ここらでしっかりしなくてはと
改めて思う。

がん!がん!がん!

2012年10月9日火曜日

無駄。

10月8日(月)


男女で友だちってありうるのだろうか?

こういう問いって、雑誌とか本とかでいろいろと
論じられているけども、結局どうなんだ!と、
自分で考えたことがある。

結論的には「なし」!と思っていた。

けども、昨日同窓会で会った女子たちは、
まぎれもなく友だちだろう。

ということは「あり」な気もする。

そして、友だちってどういうものなんだっけ?てことが、
けっこう曖昧だから、男女で友だちがありうるかなしかが、
わからなくなるんだと気づいた。

でも、結局、その問い自体、どうでもいいってことに、気づくんだよね。
やばい15分無駄にした。。。。

がん!がん!がん!

2012年10月3日水曜日

礼節をわきまえたい。

10月3日(水)

自分の小さい頃のことって、たいていが断片的にしか、
覚えていないことがほとんどなんだけど、
印象的な場面はしっかり覚えている。

なんでこんなこと覚えているんだろうと不思議にも思うんだけど、
小学校1年生になる直前。初めて登校する前日の夜のことを覚えている。

僕の小学校は、通学時に集団登校をすることになっていて、
各自の住んでいる近所の小学生と班を作って登校することになっている。
その通学班には、班長、副班長がいて、高学年の子が担当させられる。

初めて小学校に登校する前日の夕方、母親が班長さんの家に、挨拶に行くと言って、
僕を連れ出したのを覚えている。たしか、そのとき僕はスゴく恥ずかしくて、
嫌だった記憶がある。

班長さんの家にいって、母親は、小学6年の女の子とそのお母さんに、
これからよろしくお願いしますと挨拶をしていたと思う。
僕はと言えば、恥ずかしくて後ろのほうにいただけだったかなあ。

ルールとか、礼儀とか、モラルとか、マナーとか、
最近になってようやく大切だなあと思う。

それでも、社会に出るといろいろな価値観の人がいて、
そういうモラルやマナーの部分で、気持ちを共有できないことも
あったりで、なかなかストレスに感じることもあったり。

ただ、小さい頃の小学校の通学班の班長さんの家に、明日からよろしく!って
挨拶にいくっていうのは、礼儀のレベル高いんじゃない?笑
そういうことを自分もできていたいよね。

がん!がん!がん!