12月4日(火)
たかのてるこさんがラジオに出ていて、断食(ラマダン)は、
世界中で食べ物を満足に食べられないヒトもいるということを、
日常的に体感して、食べ物があることに感謝するために行っている
というようなことを言っていた。
きょう見た「標的の村」というドキュメンタリーでも気づかされたけど、
僕が日常的に出会っているヒトや、置かれている環境は、当たり前のようでいて、
まったく当たり前ではなかったりする。
ちなみに、標的の村は、沖縄県の東村・高江の住民が、オスプレイのヘリパッドの
建設に反対する模様をドキュメンタリーで描いた作品。
新聞で、オスプレイが日本に来ることに反対しているのは知っていたけども、
住民にとって、実際どれほどの被害になるのか、想像もしていなかった。
このドキュメンタリーを見れば分かるけども、住民にとってオスプレイの離着陸が
行われることは、日常生活に重大な被害をもたらす。
そのことは、見ようとしなければ見ることの出来ない情報かもしれない。
でも、自分の置かれている環境は、当たり前なことなのだろうか。
考えてみれば、平和で安泰な生活も、どんな理由かわからないが、
いつ壊れるともしれないものなのかもしれない。
そんな満足ないまの環境に後ろめたさとかはないけど、ただなにもせずにに、いまの
環境に満足するわけにはいかなかったり。
ラマダン的なことって日常的にあったほうがいいなって改めて思う。
被災地のことを忘れちゃいけないっていうのと同じような感覚で、
いつも傍らに置いておかなくてはいけないことなのだなと思った。
たかのてるこさん。おもろい!
がん!がん!がん!
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